2010年07月13日20:00
今回 奈良の旅の一番の目的はここ、頭塔(ずとう)を訪れることでした
場所は東大寺の南側 東大寺からバスに乗り
二つ目の停留所「破石町」で降りれば目の前ですが
浮見堂や飛火野を散策しながら歩いてもすぐの場所です
(パンフレットの写真より)
頭塔は昭和の終わりまで 古墳のような木の生い茂ったこんもりとした小山でしたが
1987年に発掘が始まり1998年ごろまで発掘と復元整備が行われ
2002年3月17日に一般公開が始まった仏教遺跡です
東大寺南大門から 雨の中を南にしばらく歩くと
家と家の間の駐車場の奥に突然頭塔は現れました
第一印象ははじめて見る形への衝撃と ここは日本?と言う感覚でした
頭塔は神社仏閣ではなく一般の方が管理をしています
入り口の斜め前の仲村表具店さんが管理人で
玄関で声をかけると 気のよさそうなオヤジさんが対応してくれました
拝観料の300円(一人)を払いパンフレットをいただき
入り口の南京錠を開けていただきました
(行かれる方はお釣りの無いようにお願いします)
つまり仲村表具店さんが留守の場合 見学が出来ませんので
あらかじめ確認が必要です
入り口から中に入ると石碑があり左右両方に道がのびています
どちらに進んでも一周出来るようなので右へ進みます
現在の頭塔は三つの顔を見せてくれます
入り口付近は発掘前のこんもりとした木の生い茂った山になっていて
そこから進むと発掘途中の石積みではなく崩れよけの木組みの部分
それから先は復元された石積みの部分
ここで初めて全体像が見えてきます
あっ インドネシアのボロブドール遺跡に似ている
頭塔の一辺は32m. ボロブドール遺跡の一辺は115m
.
規模はだいぶ違うし 当時日本とインドネシアに国交は無かったと思いますが
何か関係があると感じるのは私だけでしょうか?
頭塔は日本のピラミッドと言われており
7段の階段状の形状をしています。
奇数列の1,3,5,7段には瓦屋根の祠があり
中には石仏が安置されています
また最上階の7段目には仏塔(五輪塔)も見ることが出来ます
頭塔の説はいろいろあるようですが
二つの説が有力みたい
一つ目は土塔がなまって頭塔になった説
二つ目は奈良時代の僧 玄昉(げんぼう)の首塚説
土塔がなまったのなら同じ形状の仏教遺跡がもっと有っていいはずである
個人的には首塚説が有力だと思う
しかも面白いのは発掘で
ロシアの人形マトリョーシカのように
頭塔の中にもうひとつの頭塔が隠されていたことがわかったことだ
小さな頭塔の上に大きな頭塔が建て増しされている
ん~ロマン(妄想)が広がる
玄昉(げんぼう)は716年から17年間 唐の国に遣唐使として勉強に行っている
当時の唐は7世紀に三蔵法師が天竺(インド)から大量の仏教資料を持ち帰り
賑わっていたころである
唐で学んだことを役立てようと日本に戻った玄昉は天皇に手厚く迎えられ
天皇の母親の病気を治したことから勢力を持ち始めた
面白くないのが時の権力者 藤原不比等
玄昉を九州の大宰府に左遷させてしまう(実際は不比等の孫)
(この裏にはもっとどろどろした紆余曲折があるが話が長くなるので省きます)
左遷された玄昉は1年余りで死んでしまう(暗殺説有り)
亡くなった玄昉の体は空に舞い上がり ばらばらになり
体や手足はその場に落ちてきたが 首だけは奈良に落ちたと言われている
いくら私でもこの話を鵜呑みにしているわけではない
でも 科学や医学のかけらも無いこの時代
病気や天変地異の原因は神の怒りであり 祟り、怨霊や魑魅魍魎のせいと信じられ
宗教 お札 お払い 念仏 人柱などがそれを鎮める手段だと信じられていた時代である
(平城京では神社仏閣の建築がされていなかった日は1日も無いと言われています)
大宰府から奈良に玄昉の死が伝わる間に尾ひれ背びれが付かないほうが不思議である
つまり頭塔とは大宰府で亡くなった玄昉の遺骨を弟子たちが持ち帰り
奈良に作ったお墓ではないかと考えるとロマンが広がる
どうせ今の時代 見てきた人はいないのだから これくらいの空想(妄想)はいいでしょ!
冒頭に当時日本とインドネシアに国交は無かったと書きましたが
玄昉が17年間行っていた
唐とインドネシアにつながりがあり
玄昉が唐でボロブドール方式の仏教建築の知識に触れ合う機会があったとしたら
にわか素人歴史ファンの血が騒ぎます
しかもボロブドール遺跡も頭塔も8世紀末に作られている
これを偶然と考えるには...
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今回 奈良の旅の一番の目的はここ、頭塔(ずとう)を訪れることでした
場所は東大寺の南側 東大寺からバスに乗り
二つ目の停留所「破石町」で降りれば目の前ですが
浮見堂や飛火野を散策しながら歩いてもすぐの場所です
(パンフレットの写真より)
頭塔は昭和の終わりまで 古墳のような木の生い茂ったこんもりとした小山でしたが
1987年に発掘が始まり1998年ごろまで発掘と復元整備が行われ
2002年3月17日に一般公開が始まった仏教遺跡です
東大寺南大門から 雨の中を南にしばらく歩くと
家と家の間の駐車場の奥に突然頭塔は現れました
第一印象ははじめて見る形への衝撃と ここは日本?と言う感覚でした
頭塔は神社仏閣ではなく一般の方が管理をしています
入り口の斜め前の仲村表具店さんが管理人で
玄関で声をかけると 気のよさそうなオヤジさんが対応してくれました
拝観料の300円(一人)を払いパンフレットをいただき
入り口の南京錠を開けていただきました
(行かれる方はお釣りの無いようにお願いします)
つまり仲村表具店さんが留守の場合 見学が出来ませんので
あらかじめ確認が必要です
入り口から中に入ると石碑があり左右両方に道がのびています
どちらに進んでも一周出来るようなので右へ進みます
現在の頭塔は三つの顔を見せてくれます
入り口付近は発掘前のこんもりとした木の生い茂った山になっていて
そこから進むと発掘途中の石積みではなく崩れよけの木組みの部分
それから先は復元された石積みの部分
ここで初めて全体像が見えてきます
あっ インドネシアのボロブドール遺跡に似ている
頭塔の一辺は32m. ボロブドール遺跡の一辺は115m
.
規模はだいぶ違うし 当時日本とインドネシアに国交は無かったと思いますが
何か関係があると感じるのは私だけでしょうか?
頭塔は日本のピラミッドと言われており
7段の階段状の形状をしています。
奇数列の1,3,5,7段には瓦屋根の祠があり
中には石仏が安置されています
また最上階の7段目には仏塔(五輪塔)も見ることが出来ます
頭塔の説はいろいろあるようですが
二つの説が有力みたい
一つ目は土塔がなまって頭塔になった説
二つ目は奈良時代の僧 玄昉(げんぼう)の首塚説
土塔がなまったのなら同じ形状の仏教遺跡がもっと有っていいはずである
個人的には首塚説が有力だと思う
しかも面白いのは発掘で
ロシアの人形マトリョーシカのように
頭塔の中にもうひとつの頭塔が隠されていたことがわかったことだ
小さな頭塔の上に大きな頭塔が建て増しされている
ん~ロマン(妄想)が広がる
玄昉(げんぼう)は716年から17年間 唐の国に遣唐使として勉強に行っている
当時の唐は7世紀に三蔵法師が天竺(インド)から大量の仏教資料を持ち帰り
賑わっていたころである
唐で学んだことを役立てようと日本に戻った玄昉は天皇に手厚く迎えられ
天皇の母親の病気を治したことから勢力を持ち始めた
面白くないのが時の権力者 藤原不比等
玄昉を九州の大宰府に左遷させてしまう(実際は不比等の孫)
(この裏にはもっとどろどろした紆余曲折があるが話が長くなるので省きます)
左遷された玄昉は1年余りで死んでしまう(暗殺説有り)
亡くなった玄昉の体は空に舞い上がり ばらばらになり
体や手足はその場に落ちてきたが 首だけは奈良に落ちたと言われている
いくら私でもこの話を鵜呑みにしているわけではない
でも 科学や医学のかけらも無いこの時代
病気や天変地異の原因は神の怒りであり 祟り、怨霊や魑魅魍魎のせいと信じられ
宗教 お札 お払い 念仏 人柱などがそれを鎮める手段だと信じられていた時代である
(平城京では神社仏閣の建築がされていなかった日は1日も無いと言われています)
大宰府から奈良に玄昉の死が伝わる間に尾ひれ背びれが付かないほうが不思議である
つまり頭塔とは大宰府で亡くなった玄昉の遺骨を弟子たちが持ち帰り
奈良に作ったお墓ではないかと考えるとロマンが広がる
どうせ今の時代 見てきた人はいないのだから これくらいの空想(妄想)はいいでしょ!
冒頭に当時日本とインドネシアに国交は無かったと書きましたが
玄昉が17年間行っていた
唐とインドネシアにつながりがあり
玄昉が唐でボロブドール方式の仏教建築の知識に触れ合う機会があったとしたら
にわか素人歴史ファンの血が騒ぎます
しかもボロブドール遺跡も頭塔も8世紀末に作られている
これを偶然と考えるには...
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この記事へのコメント
う~ん、素敵なお話です。
町の名前にも何かありそうですね。
空想でも妄想でも・・・
実際に見てみたくなりました^^。
石垣のしっとり濡れた雰囲気が
いいですね。歴史探索で奈良の
旅に魅力を感じます。
町の名前にも何かありそうですね。
空想でも妄想でも・・・
実際に見てみたくなりました^^。
石垣のしっとり濡れた雰囲気が
いいですね。歴史探索で奈良の
旅に魅力を感じます。
Posted by NAO at 2010年07月13日 22:33
♪ NAOさん
何か異質ですよね
日本じゃないみたいで
破石町(わるいしちょう)も意味深いですね
何か異質ですよね
日本じゃないみたいで
破石町(わるいしちょう)も意味深いですね
Posted by 和音 at 2010年07月15日 19:11